町自連通信 各エリア特集
横山北地区特集【その2】
2025-10-28
長房地区プロジェクト
東京陸軍幼年学校➀
再開発により今では、外から長房団地地区に買い物に来る人も増え非常に賑やかな地域になりました。そのお客様も、そして住民たちも、この長房団地がある「歴史」を背負った場所ということを知っている人は少ないと思います。今の長房団地の土地には、「東京陸軍幼年学校」があったのです。東京陸軍幼年学校とは、陸軍のエリート養成学校。13歳から15歳の男子が全国から集まり、3年間の教育を受け、卒業後は陸軍士官学校予科、本科と進んでいくシステムでした。長房には昭和19年4月に現在の新宿区戸山から移転。ここは建武台と呼ばれていました。
東京陸軍幼年学校②
当時、全国から集まった生徒は360人ほどいました。全寮制で、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語などの授業もあり、一般の旧制中学と比べてもリベラルな校風。勤労動員もありませんでした。ところが、長房に来てから、戦況はますます苦しくなっていきます。陸軍の付属学校ということもあり、敵機の攻撃を受けることもありました。そしていよいよ、昭和20年8月2日未明、八王子大空襲で攻撃を受けます。幸い生徒たちはほとんどが帰郷、もしくは相模川に遊泳に行っており、また、学校に残ったものも上手に逃げうせ、死者は10人前後であったといいます。同校はその2週間後の敗戦と同時に閉校しました。
東京陸軍幼年学校③
最後の生徒の中に、後のベストセラーミステリー作家、故・西村京太郎氏がいました。のちのインタビューで彼は、こう語っています。【15日に玉音放送を聴いた後も、終戦の意味が皆、わからない。教官からも「マッカーサーが陛下に何かしたらお前たちが守るんだ」といわれ、その後も体を鍛え続けていた。実家に帰れたのは、8月の末だった】西村氏入学時の倍率は100倍くらいだったと語っていますので、「東京陸軍幼年学校」が、相当なエリート校だったことがうかがわれます。(産経新聞2014年8月19日刊「話の肖像画・作家・西村京太郎(83)【2】)より。
今は亡き御陵線➀














